« 奨学金問題・「自己破産予備軍」 | トップページ | 奨学金問題・「自己破産予備軍」の人数について »

2018年3月26日 (月)

『教育費の政治経済学』と子どもの貧困,教育の無償化

今日は「無償教育の漸進的導入」に係る公開研究会として,日本大学文理学部の末冨芳・准教授(教育行政学)を講師に「『教育費の政治経済学』と子どもの貧困,教育の無償化」と題した研究会に参加しました。

末冨先生の著書である『教育費の政治経済学』(勁草書房)は数年前に購入し,私の買った本リスト(エクセルで作ってあります)には2014年8月以前に読み終えて,かついい内容の本だという評価がされているのですが,内容にまったく記憶がないので,きっと読んだつもりになっているのでしょう。

近時,明石書店から『子どもの貧困対策と教育支援──より良い政策・連携・協働のために』という本も発行されたそうです(こちらの本の著者の一人である横井葉子さんとは,横浜で行っている勉強会でご一緒させていただいております)。

末冨先生のご指摘の中で,やはり受け止めねばならないことは,この間,子どもの貧困や教育格差の問題が指摘される中で,テストスコア(全国学力テストの成績やPISAテストの成績といった点数で評価できるもの)と家庭の社会経済的背景・社会の教育投資額の関係を比較するアプローチが広がってきたことの功罪です。

たしかに,お茶の水女子大の耳塚先生に代表されるようなテストスコアが家庭の社会経済的背景によって相当程度規定されているという調査が示されることで,相対的に不利な地位にある子どもたちへのフォローが必要であるという世論が相当程度喚起されたこと,それを受けて子どもの貧困対策法などを通じ,行政も一定の対策を講じつつあることは肯定的に受け止めなければなりません。

他方で,これらの対策の中心が,学校外教育の費用負担の軽減(典型的には塾代補助)となっていることからもわかる通り,1つには社会経済的背景の不利が子どもに不利に働く仕組みには手を付けず,対症療法的になっていること,もう1つは公教育そのものへヒトやモノを投入して質の改善を図るというものになっていないということには,気を付ける必要があります。

本来,子どもの貧困対策は総合的なアプローチであり,投資以外にも子どもの人権保障という面や次世代の社会の基盤づくりといった面があるはずですが,それらが捨象される危険性には常に気を付けねばなりません。

公立学校の教員には,子どもの貧困問題も念頭に置きながら,熱心に子どもと向き合っている先生方がたくさんいらっしゃいますが,ただ,アルマーニの制服に限らず,たとえば学校で全員に購入させる道具類(書道セット,裁縫セット,絵の具,色鉛筆,楽器など)について,その必要性の吟味や必要としたときにできるだけ廉価なものを指定するといった配慮が不十分である学校は少なからず存在するように見受けられます。
アルマーニの制服(実際は「標準服」だそうですが)についても,そもそも小学校で制服を必要とする理由に立ち返る必要があるでしょう。

末冨先生の問題提起で,このようなものがありました。

次のうち,公立中学校で必要なものはどれか?逆に,公立中学校には不要(むしろない方がよい)というものはどれか?

掃除機  アナと雪の女王のDVD  演劇シアター  iPad  朝食

3Dプリンター  任天堂スイッチ  カフェ  修学旅行  犬

日本国内で,100%とはいわないまでも,多くの人が必要だ,と答えるのはせいぜい修学旅行くらいな気がします。逆に,掃除機,DVD,演劇シアター,3Dプリンター,任天堂スイッチ,カフェあたりは多くの人からない方がよい,と言われそうですね。
みなさんはいかがでしょうか。

末冨先生は修学旅行が必要,ということには懐疑的です。あえて親に金銭的負担をさせてまで修学旅行を行う意味があるのか,という疑問からです。
私は学校外での生活体験,宿泊体験,特に日常とは異なる地の体験(旅行体験)が各家庭任せではすべての子どもに保障されないため,学校として実施する意義は十分あると考えますが,先生が指摘される通り,学校の先生方のうち,修学旅行を実施する意義(あらゆる経済状況の親がいる中で,あえて親の負担で修学旅行を実施しなければならない必要性,あるいは就学援助費で修学旅行費を支出する必要性)を十分説明できる先生方がどれほどいらっしゃるかと問われれば,頭を抱えざるを得ません。

さて,私は先日,高等教育の負担軽減を唱える立場ながら,高等教育の「無償化」に懐疑的な論考を書きましたが,末冨先生も現在言われている「無償化」には慎重論のようです。「無償化より大事/有効なことがある」と考えるからです。

ただし,私が思うのは,「無償化より前にやるべきことがある!」という意見は,政府関係者が主張すると,「無償化より前に「やるべきこと」がある,だがその「やるべきこと」もお金がかかるから慎重であるべきだ」という意味になり,結局「何もしない」あるいはお茶を濁す程度しかしない,という結論になってしまう,ということです。

なぜ末冨先生や私たちの「無償化より大事なことがある」と彼らの(そう,たいてい「彼ら」であって,「彼女ら」になることが少ない),「無償化の前にやるべきことがある」の意味が違ってくるのか,まずそこが問題ではないか思います。

« 奨学金問題・「自己破産予備軍」 | トップページ | 奨学金問題・「自己破産予備軍」の人数について »

学費・奨学金問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/605446/66541877

この記事へのトラックバック一覧です: 『教育費の政治経済学』と子どもの貧困,教育の無償化:

« 奨学金問題・「自己破産予備軍」 | トップページ | 奨学金問題・「自己破産予備軍」の人数について »